紅花トンネルは、山形県山形市東部にある道路トンネルで、長さは1,971メートルです。
このトンネルは、山形市郊外の東沢地区と高瀬地区を結ぶ役割を果たしています。トンネル内は村山東部広域農道が通っており、片側は1車線です。AMラジオも使用可能で、通行止めの際には出入口の電光掲示板に表示されます。
紅花についても少し触れてみましょう。山形は紅花の生産量が日本一であり、紅花は山形のシンボルとなっています。紅花の美しさを楽しむ際に感染対策をしっかり行いながら、山形の花々を鑑賞してみてください🌺🍃。
紅花(ベニバナ)は、山形県の県花にもなっているキク科の植物です。この可憐な花は、恋人へのプレゼントにふさわしい素敵な花言葉を数多く持っています。以下に、ベニバナの花言葉とその由来を紹介します。
1. 「化粧」「装い」
- ベニバナはかつて口紅やチークの原料として使用されていました。
- 咲き始めは黄色で、徐々に紅色に変化する特性を活かして、口紅やチークの天然色素として利用されていました。
- また、衣装の染料としても使われていたそうです。
2. 「特別な人」「愛する人」
- ベニバナを原料とした化粧品を使ってメイクを施し、恋人に会い行く女性の姿から、この花言葉が生まれました。
- 特別な人や愛する人のために美しく見せようとする女性の姿を想像させる素敵な意味です。
3. 「熱狂」「情熱」
- 源氏物語に由来する花言葉です。
- ベニバナの古名は「末摘花(スエツムハナ)」で、源氏物語において源氏がある姫君につけたあだ名でもあります。
- 末摘花は8年間源氏を想い続け、最終的に源氏の愛を得た人物であり、このエピソードから「情熱」「熱狂」という花言葉が付いたと言われています。
4. 「包容力」
- ベニバナが身を包むように咲くことから、この花言葉が生まれました。
- また、ベニバナは化粧品の原料以外にも幅広く活用されるお花であり、日常生活に役立つさまざまなことをカバーすることか
ら「包容力」という意味が付けられました。
紅花は本数や色によって花言葉は変わりません。どれもポジティブで情熱的な意味を持つため、恋人へのプレゼントに最適です。大切な人に気持ちを伝える際に、ベニバナを贈ってみてください🌺🍃。
紅花(ベニバナ)の育て方についてご案内いたします。
紅花は、黄色やオレンジの花を咲かせる植物で、乾燥させることで紅色の塗料に変身する特徴があります。また、乾燥させると血行促進作用があるとされ、養命酒などにも含まれています。
以下は紅花の育て方のポイントです。
1. 日当たり
- 紅花は日光を好みます。良い日当たりで育てましょう。
2. 置き場所
- 風通しの良い環境で育てましょう。
- 乾燥には強く、高温多湿を嫌います。
- 真冬は敷きワラなどで保護しましょう。
3. 水やり
- 夏の水やり: 土の表面が乾いたら水を与えます。葉に水がかかると炭そ病を引き起こす可能性があるため、株元に水をかけま
しょう。
- 冬の水やり: 乾燥気味に管理しましょう。鉢植えでは土の表面が乾いたら水を与えます。
4. 肥料・追肥
- 鉢植えの場合、植え付けの際に緩効性化成肥料を混ぜ込んでおきましょう。その後、追肥は必要ありません。
5. 用土
- 排水性のある土を用いましょう。有機物が多く含まれた土も適しています。
- 酸性の土は避けましょう。
6. 植え替え・植え付け
- 植え替えは行いません。植え付けは暖かくなる3月〜4月に行います。
7. 増やし方・種まき
- 種まきで増やします。暖地であれば10月から11月でも可能です。
8. 注意すべき病気・害虫
- 炭そ病に注意しましょう。雨で泥はねして寄生することが多いです。
- 害虫にはアブラムシやハモグリバエなどがあります。
9. 管理温度
- 20度前後が生育適温です。高温多湿を避けましょう。
10. 花言葉
- 特別な人・包容力・愛する力・化粧・装い
紅花(ベニバナ)の歴史についてお話しましょう。
1. 最上紅花のルーツ
- 最上紅花は、中近東の古代キルギスで発見された植物です。この植物は非常に強い棘の葉を持っていました。
- 長い年月をかけて人々が改良し、棘のない紅花として貴重な染料として使用されました。また、生薬としても珍重され、古代
エジプトではミイラの布の染色にも用いられていました。
2. 日本への伝来
- 紅花は中国からシルクロードを渡って日本に伝えられました。弥生時代後期(3世紀中頃)の纏向遺跡からは紅花染めが行わ
れていた痕跡が出土しています。
- 603年に聖徳太子が制定した冠位十二階では、3番目に上位とされる礼に紅色が使われており、この紅は紅花染めのもので
した。
- 10世紀には律令を記した『延喜式』が編纂され、紅花の染色方法が詳しく記されていました。紅花は非常に珍重されていまし
た。
- また、多くの地域で紅花を税として納めていた記録も残っています。
山形県は、日本一のさくらんぼ生産量を誇る地域であり、美味しいさくらんぼが育つ土地として有名です。ここでは、さくらんぼの栽培に適した気候と地形が整っています。
元々さくらんぼはヨーロッパなど冷涼な気候を持つ地域で育った果物で、日本での栽培は当初困難を極めました。しかし、山形県は周囲を高い山々で囲まれた盆地の地形と、梅雨でも雨の少ない乾燥した気候を持っています。これが結実に成功する要因となり、その後も日本の気候に適した品種改良が行われてきました。
さくらんぼは山形県の風景に溶け込んでおり、東根市、天童市、寒河江市などを中心に広がるさくらんぼ畑は、壮麗な山々に抱かれています。山形でさくらんぼの栽培が始まったのは明治8年のことで、全国で育成が試みられる中、実らせることに成功したのは山形県とその周辺だけでした。気候が雨に弱いさくらんぼにとって適していた山形の環境が大きな要因となりました。
現在、山形県でつくられている品種の最高峰は「佐藤錦」です。このさくらんぼは黄色に紅色が差す美しい見た目と、甘味と酸味の絶妙なバランスで人々を虜にしています。佐藤錦は山形県の佐藤栄助氏によって育成され、さくらんぼのデビューは山形がさくらんぼ日本一として躍進する大きなターニングポイントとなりました。
さくらんぼは山形の夏を彩り、多くの人々の心をつかんでいます。さくらんぼ狩りや直売所での新鮮なさくらんぼの味わいも楽しめます。山形のさくらんぼは、赤い宝石のようであり、夏のはじまりとともに人々を喜ばせています。
サクランボ(または桜桃)は、バラ科サクラ属の果樹であるミザクラ(実桜)類の果実です。日本一のさくらんぼ生産量を誇る山形県が有名で、美味しいさくらんぼが育つ土地として知られています。
さくらんぼの歴史は古く、以下のように進んできました。
1. 原産地と古代ローマ
- セイヨウミザクラ(甘果桜桃)はイラン北部からヨーロッパ西部にかけて自生していました。
- 別の種であるスミミザクラ(酸果桜桃)はアジア西部のトルコ周辺で原産とされています。
- 古代ローマの博物学者プリニウスによれば、ローマの執政官ルクッルスが黒海沿岸のケラソス(現在のトルコのギレスン)
からサクランボの木を持ち帰ったとされています。
- ただし、イギリスで青銅器時代のサクランボの種が発掘されていることから、ルクッルスがコーカサスから持ち帰ったのはセイヨウミザクラの一栽培品種だった可能性もあります。
2. 日本への伝来
- 日本には江戸時代初期に中国から入ってきましたが、気候に合わず普及しませんでした。
- 明治時代になり、アメリカやフランスから多数のオウトウ品種(セイヨウミザクラ)が導入されました。
- これらの苗木が適地である北海道や東北に配布され、日本でも独自の品種改良が進められました。
3. 山形県と佐藤錦
- 山形県でつくられている品種の最高峰は「佐藤錦」です。
- 佐藤錦は大粒で果汁が多く、果肉は乳白色で甘味と酸味のバランスが良い特徴を持っています。
さくらんぼは、山形の風景に溶け込み、夏のはじまりを彩り、多くの人々の心をつかんでいます。さくらんぼ狩りや直売所での新鮮なさくらんぼの味わいも楽しめます。赤い宝石のようなさくらんぼは、夏の喜びを象徴しています。
さくらんぼの栽培方法について基本的なアドバイスを提供します。
1. 土壌と場所
- さくらんぼは日当たりの良い場所で育ちます。南向きの斜面が理想的です。
- 良く排水される土壌が必要です。砂質土壌が適しています。
- 酸性土壌を好むため、pHが5.5から6.5の範囲が良いです。
2. 品種選び
- 地域の気候に適した品種を選びましょう。山形県では「佐藤錦」が有名です。
- 他にも「紅秀峰」や「佐藤水晶」などがあります。
3. 植え付け
- 植え付けは秋か春に行います。
- 木の間隔は約3メートルを保ちます。
4. 剪定
- 冬季に剪定を行います。枝を整え、風通しを良くします。
- 枝の先に花芽がつくので、適切な剪定を行いましょう。
5. 肥料と水やり
- 成長期には適切な肥料を与えます。
- 乾燥を防ぐため、水やりに注意します。
6. 病害虫対策
- 葉っぱや実に虫がつかないように注意しましょう。
- 病気にかかった場合は早めに対処します。
7. 収穫
- 収穫は夏に行います。実が完熟してから収穫しましょう。
8. さくらんぼ狩り
- 地域のさくらんぼ狩り体験を楽しんでみてください。
山形県でのサクランボのビニールシート栽培について、さくらんぼの栽培方法はいくつかあります。以下にそれぞれの方法を説明します。
1. ハウス栽培の「加温栽培」(~5月)
- ハウス栽培のさくらんぼはビニールハウスの中で育てられます。
- 「加温栽培」は室内を暖房であたためることで、本来の旬よりも約1ヶ月早く収穫できます。
- 春先の山形は寒暖差が激しく、氷点下近くまで気温が下がることもありますが、暖房を使うことでハウス内は一定のあたた
かさが保たれています。
- 主に母の日さくらんぼなどの贈答用に育てられます。
2. ハウス栽培の「無加温栽培」(6月上旬~中旬)
- 加温栽培と同じくビニールハウスの中で育てられますが、加温栽培のさくらんぼよりも1ヶ月遅れて栽培が始まります。
- 暖房はあまり使わず、基本的にはハウス内の室温で育てるのが「無加温栽培」の特徴です。
- 旬よりも早い6月上旬~中旬に収穫できるため、父の日さくらんぼギフトとして人気があります。
3. 露地栽培の「露地栽培」(6月中旬~)
- 屋外で栽培されるもので、さくらんぼの一番の旬である6月中旬~7月初旬に収穫時期を迎えます。
- ハウスやテントを使わず、まったくの野外で育てられる自然な栽培方法です。
- 日光が直接樹に当たるため、天候に恵まれれば実の大きいさくらんぼが収穫されますが、雨粒が当たると実割れを起こすリ
スクがあります。
4. 露地栽培の「テント栽培」(6月下旬~)
- 梅雨入り前に雨除けのビニールの屋根をかけて栽培する方法です。
- 雨の予報が出始める5月末~6月初旬ごろ、樹の上に雨除けのビニールをかけます。
- 雨除けのテントを張ることで、さくらんぼの実に雨が当たり実割れを起こすリスクが減り、収穫直前まで樹上で育てること
が可能になります。
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アクティブリゾーツ宮城蔵王から芭蕉ゆかりの名刹の自由拝観するために移動します。
車中では、バスガイドから山寺マップを使って山寺観光について説明がありました。まず、麓屋横のバス駐車場について、そして山寺観光にはバス駐車場そばの階段は使わないようにとのこと。その階段は葬儀など特別な時のみ使うとのこと。それで地図をもとに右に遠回りしたところの階段を使うようにとのこと。また、地図にある神社やお寺、山門の説明がありました。慈覚大師の建てた800年代のお寺について説明を受けました。本日の山寺は悪いものと縁を切る寺だそうです。また根本中道には不滅の炎があり、その炎は比叡山からいただいたそうです。ここから油断大敵という言葉が生まれたそうです。松尾芭蕉も訪れたそうで、セミ塚もあるそうです。登山のコツ、マスクでの呼吸のコツついても話されました。特産の玉こんにゃく、サクランボのビニールシートの話もありました。
山形県にある山寺駅付近は、松尾芭蕉が詠んだ有名な句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の地として知られています。ここは山寺(正式名称:宝珠山立石寺)と呼ばれる霊山で、芭蕉も訪れた名刹です。
以下は山寺参拝の道順や見どころです。
1. 根本中堂: 登山口を登ってすぐ正面にあるブナ材建築のお堂で、日本最古とされています。内部には不滅の法灯と木造の薬師如来坐像が祀られています。芭蕉・曽良像と句碑もあります。
2. 山門: 鎌倉時代建造の茅葺屋根の門で、奥の院まで続く800段以上の石段の玄関口です。
3. せみ塚: 『閑さや岩にしみ入る蝉の声』の句が書かれた短冊を埋めた場所で、夏には芭蕉も聴いたであろう蝉の声が聞こえます。
4. 弥陀洞: 岩肌が雨風に削られてできた直立した阿弥陀如来の姿を見ることができる場所です。
5. 仁王門: ケヤキ造りの美しい門で、左右に安置された仁王像が迫力満点です。
6. 奥の院・大仏堂: 800段以上の石段の終点で、釈迦如来と多宝如来を本尊として祀っています。
7. 開山堂: 慈覚大師を祀るお堂で、木造尊像が安置されています。
山寺芭蕉記念館では、芭蕉の遺墨や映像が展示されており、奥の細道にゆかりの深い地を巡る一句を詠むのもおすすめです。
山寺参拝の所要時間は往復で約1時間30分で、スニーカーなどの滑りにくい靴を履いて参拝することをおすすめします。また、毎年夏と秋には山寺のライトアップが行われ、幻想的な雰囲気を楽しめます。
山寺(宝珠山立石寺)は、正しくは宝珠山立石寺といい、貞観2年(860)に清和天皇の勅願によって慈覚大師が開いた、天台宗のお山です。
正面にそびえる大きな建物は、国指定重要文化財である根本中堂です。この建物は延文元年(1356)に初代山形城主である斯波兼頼によって再建されました。入母屋造で、5間4面の建物はブナ材で作られており、日本最古の木造建築物とされています。ここは天台宗仏教道場の形式がよく保存されています。
根本中堂内には、慈覚大師作と伝えられる木造薬師如来坐像が安置されています。また、伝教大師が比叡山に灯した灯を立石寺に分けたものを、織田信長の焼打で延暦寺を再建した際には逆に立石寺から分けたという、不滅の法灯を拝することもできます。
山寺は、美しい自然と歴史的な建造物が調和した場所であり、多くの参拝者や観光客が訪れています。特に、松尾芭蕉の名句で知られる山寺は、日本の文化と歴史を感じることができる場所です。
宝珠山立石寺(山寺)は、年間を通じてさまざまな行事やイベントが行われています。以下は一部の主な行事とイベントです。
1. 開山忌(毎年1月14日)
- 開催場所: 開山堂
- 実施内容: 開山慈覚大師の供養法要で、扉を開けて直接大師の姿を拝することができます(一般参加可能)。
2. 大般若祈祷法要(毎年1月17日)
- 開催場所: 根本中堂
- 参加料: 2,000円(事前申し込み必要)
- 実施内容: 大般若経を経本600巻を転読し願事を祈祷し、玉こんにゃくの振る舞いにておもてなしを行います。
3. 節分会法要(毎年2月3日)
- 開催場所: 立石寺本坊
- 実施内容: 般若心経を365回読んでお祈りします(無料参加)
4. 伝教大師御遠忌法要(毎年6月4日)
- 開催場所: 立石寺寺務所
5. 夜行念仏講(毎年8月6日)
- 開催場所: 宝珠山境内
- 実施内容: 特別企画階段脇にある灯篭に灯が灯ります。
6. 盂蘭盆会施餓鬼法要(毎年8月20日)
- 開催場所: 立石寺寺務所
7. 天台大師御遠忌法要(毎年11月24日)
- 開催場所: 立石寺寺務所
8. 法華経写経奉納法要(毎年11月28日、閏年のみ)
- 開催場所: 立石寺寺務所
9. 慈覚大師月命日法要(毎月14日)
- 開催場所: 立石寺寺務所
10. 大晦日除夜の鐘・光のロード(毎年12月31日)
- 開催場所: 山門前鐘楼
- 実施内容: 除夜の鐘を打てる。門前前の光のロードを奥之院まで歩きます。納豆汁と玉こんにゃくの振る舞いにておもてなし
を受けられます。
慈覚大師(円仁)は、平安時代の第3代天台座主で、日本最初の太師号を得た尊者です。彼の生涯と業績を簡潔に紹介します。
①生まれと修行
- 794年(延暦13年)に下野国で壬生氏の子として生まれる。
- 9歳で大慈寺に入り、修行を始める。
- 最澄の弟子として比叡山延暦寺で学び、最澄の理解者として深く愛される。
②唐留学と五台山巡礼
- 836年(承和3年)に唐へ留学を試みるが失敗。
- 838年(承和5年)に赤山浦で不法在唐に成功し、五台山を目指す。
- 五台山で法華経と密教の整合性についての問題を解決し、仏典を書写。
③長安への求法
- 長安へ行くことを決意し、1100キロメートルを徒歩で旅行。
- 絵師・王恵に金剛界曼荼羅を描かせる。
慈覚大師(円仁)は、日本の仏教界に多大な貢献をし、文化と教義の発展に寄与しました。彼が日本にもたらした教義や実践法を以下に紹介します。
1. 顕教と密教
- 天台宗では仏の教えを顕教(けんぎょう)と密教(みっきょう)の二つに分類します。
- 顕教は、仏が衆生の性質に応じて理解しやすく説かれたもので、自らを救い、他を利することを教えるものです。
- 密教は、仏の悟りの世界そのものを示す秘密の教法で、仏と自己の一体を観念し、仏の神秘力威力の加護によって、仏の境
地に達しようとするものです。
2. 顕教法要
- 法華三昧: 法華経を読誦し、懺悔し、滅罪生善の規範とする法要。
- 常行三昧: 阿弥陀経を読誦し、往生極楽の指南とする法要。
3. 密教法要
- 光明供錫杖**: 光明真言によって滅罪息災の秘法を修す法要。
これらの法要は、私たち自身の心の開発を重視しています。慈覚大師の教えは、日常生活の中で仏性を発揮し、他者を敬い、平和で明るい社会を築ることを目指すものであり、多くの人々に愛されています。
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車中では、バスガイドからお土産について大人の事情を伺いました。また、車窓の紅葉のすばらしさについて、そして二代目「鍋太郎」がこの地にあるそうです。バスの右側の座席なら見えたのですが、残念です。
二代目鍋太郎は、山形市の立谷川河川公園に移設された大きな鍋で、毎年秋に開催される「日本一の芋煮会フェスティバル」で使用されていました。以下は、彼に関する詳細です。
① 名前: 二代目鍋太郎
② 特徴
- 高さ: 1.6メートル
- 直径: 6メートル
- 重さ: 3.2トン
③ 使用期間
- 1993年から2018年の芋煮会で活躍
- 2017年を最後に引退
④ 移設先: 山形市山寺の立谷川河川公園
⑤ 観光スポット
- 山寺の展望台・五大堂からよく見える
- 近くを走るJR仙山線の車窓からも観察できる
この大鍋は、芋煮会フェスティバルでの大規模な調理に使用され、外国人観光客にも山形の芋煮文化をPRする役割を果たしています。山寺地区への移設により、新たな観光名所となっています。
バスはふもと屋の駐車場に駐車しました。ここから、バスガイドを先頭に山寺の石段に挑戦です。
添乗員とバスガイドに率いられて「山寺 立石寺本堂」に到着しました。
山寺(宝珠山立石寺)は、山形県にあるみちのくを代表する霊場で、悪縁を断ち切り良縁を結ぶ「悪縁切り寺」として古くから信仰を集めています。ここでは、慈覚大師(円仁)によって開かれた天台宗のお山で、大小30余りの堂塔が岩山に点在しています。
以下は山寺の魅力的な要素です。
1. 根本中堂: 国指定重要文化財である根本中堂は、延文元年(1356)に初代山形城主・斯波兼頼によって再建されました。この入母屋造・5間4面の建物は、ブナ材を使用した日本最古の建築物とされています。堂内には慈覚大師作と伝えられる木造薬師如来坐像が安置されており、不滅の法灯を拝することもできます。
2. 五大堂: 五大堂は山寺からの眺めが美しい場所で、展望随一の場所でもあります。毎年、10月下旬から11月上旬には紅葉が見ごろを迎えます。
3. 芭蕉句碑: 松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだことで知られる名勝です。この句碑は門人たちによって嘉永6年(1853)に建てられました。
4. 対面石: 慈覚大師が山寺を開く際、狩人磐司磐三郎とこの大石の上で対面し、仏道を広める根拠地を求めたと伝えられています。山寺磐司祭で奉納される伝説のシン踊は、狩人をやめたことを喜んだ動物たちが磐司に感謝して踊ったものです。
5. 弥陀洞: 雨風によって直立した岩をけずり、阿弥陀如来の姿をつくり出した場所です。姿から丈六の阿弥陀ともいい、仏のお姿に見ることができる人には幸福が訪れるとされています。
山寺(宝珠山立石寺)は、悪縁切りと良縁結びの信仰を集める場所として知られています。以下に詳細を説明します。
1. 縁切り
- 悪縁は、過去の因縁や縁起の中で、不幸や苦しみをもたらす縁を指します。これは、前世や現世での行いによって生じたも
のとされています。
- 悪縁切りは、これらの不幸な縁を断ち切ることを目指す信仰行為です。山寺では、悪縁を解消し、運命を改善するために修
行や参拝が行われます。
- 修行者は、悪縁を断ち切るために厳しい山岳修行を行い、心身を浄化します。また、お経を唱えたり、特定の祈りを捧げた
りすることもあります。
2. 良縁結び
- 良縁は、幸せや喜びをもたらす縁を指します。結婚や人間関係において、良縁は大切な要素です。
- 良縁結びは、良縁を引き寄せ、幸せな未来を築るための信仰行為です。山寺では、良縁を結ぶために祈願やお守りを受ける
ことがあります。
- 結婚式や縁結びの祈りは、良縁を願う人々にとって重要な瞬間です。山寺での祈りや参拝を通じて、良縁を結ぶことを願う
人々が訪れます。
天台宗は、およそ1200年前に伝教大師最澄によって創設された宗派です。以下に、天台宗についての詳細をご紹介します。
① 起源と歴史
- 天台宗は、伝教大師最澄によって延暦25年(806年)に開かれました。
- 最澄は、比叡山において天台宗を確立し、その教えや修行法を広めました。
- 天台宗は、大乗仏教の宗派であり、中国と日本の仏教において代表的な存在です。
- 平安時代に最澄によって伝えられ、平安仏教の中心となり、日本の文化に多大な影響を与えました。
② 本山
- 天台宗の本山は、比叡山延暦寺です。
- 滋賀県と京都府の境に位置する比叡山は、京都の都である平安京の鬼門(北東)を守る位置にあり、世界遺産にも登録され
ています。
③ 教えと実践
- 天台宗は、穏やかな心を目指す集団として知られています。
- 修行や生活を通じて、中国の隋時代の天台大師の仏教解釈に基づいています。
天台宗は、法華一乗の思想を包含し、多様な仏教の修行方法を提供しています。以下に、天台宗の代表的な修行方法を紹介します。
1. 回峰行(かいほうぎょう)
- 回峰行は、比叡山の峰々を巡り礼拝する修行です。
- この行は法華経中の常不軽菩薩の精神を具現化したものとされ、山川草木ことごとくに仏性を見いだし、礼拝します。
- 回峰行者は特別な装束を身に着け、7年間かけて行います。
2. 十二年籠山行(じゅうにねんろうざんぎょう)
- 伝教大師に仕えて奉仕する“侍真(じしん)”の職を勤めるための修行です。
- 12年間の山修山学に入り、伝教大師に食事を献ずるなどの日課を通じて、一日一日を生きる修行です。
3. 四種三昧(ししゅざんまい)
- 比叡山で最も歴史の古い基本的な修行です。
- 常坐三昧、常行三昧、半行半坐三昧、非行非坐三昧の四種があります。
- 常坐三昧は静寂な堂内で坐禅に没頭し、常行三昧は念仏をとなえながら本尊阿弥陀仏の周囲をまわります。
4. 在家の修行
- 比叡山では在家の人々にも修行の門を開いています。
- 居士林で坐禅や写経、作務などの指導が行われています。
松尾芭蕉(まつお ばしょう)は、江戸時代前期の俳諧師で、日本史上最高の俳諧師の一人として世界的にも知られています。彼は俳句の世界に入り、蕉風俳諧を確立しました。以下に、松尾芭蕉についての詳細をご紹介します。
① 生涯と経歴
- 松尾芭蕉は、伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀市)出身で、1644年に生まれました。
- 彼は俳号として初めは宗房を称し、次いで桃青、そして芭蕉と改めました。
- 芭蕉は、和歌の余興から始まり、滑稽や諧謔を主としていた俳諧を、蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風として確立し
ました。
- 彼は『おくのほそ道』という紀行文で知られており、この作品は東北から北陸を経て美濃国の大垣までを巡った旅を記録し
ています。
② 代表作
- 松尾芭蕉の俳句は、静寂の中の自然の美や人生観を詠みこんでいます。以下にいくつかの代表作をご紹介します。
1. 「古池や蛙飛びこむ水の音」
2. 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
③ 名言
- 芭蕉の名言として、以下の句があります。
- 「古池や蛙飛びこむ水の音」
- 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」
④ 松尾芭蕉の特徴や人物像
- 江戸時代初めの元禄期に活躍した俳人であり、俳聖とも称されました。
- 芭蕉は、俳諧(はいかい)を言葉遊びから芸術の領域まで高め、蕉風(しょうふう)と呼ばれる句風を確立しました。
- 彼の俳句は、静寂の中の自然の美や人生観を詠みこんだ**ものでした。
- 幽玄・閑寂を尊ぶ句風は、多くの共感や賞賛を呼び、日本各地に広まりました。
⑤ 松尾芭蕉の有名な俳句・代表作【10選】
1. 「古池や 蛙飛び込む 水の音」
- 季語:蛙(春)
- 現代語訳:古い池に蛙が飛び込む音が聞こえてくる、なんて静かなのだろう。
2. 「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」
- 季語:行く春(春)
- 現代語訳:春が過ぎ去ろうとしていることに鳥は鳴いて悲しみ、魚は目に涙が浮かべている。より悲しみがわき上がって
くる。
3. 「山里は 万歳遅し 梅の花」
- 季語:梅(春)
- 現代語訳:辺鄙な山里では梅の花が咲く頃になって、ようやく万歳がやってきたことだ。
4. 「山路きて 何やらゆかし すみれ草」
- 季語:すみれ草(春)
- 現代語訳:山路を辿ってきて、ふと、道端にひっそりと咲くすみれの花を見つけ、なんとなく心惹かれることよ。
5. 「草臥れて 宿借るころや 藤の花」
- 季語:藤の花(春)
- 現代語訳:一日の旅に疲れ、そろそろ宿を求める頃合になってきた。ふと見ると、藤の花が見事に咲き垂れている。
『おくのほそ道』は、日本の古典文学において非常に重要な作品であり、俳人松尾芭蕉によって書かれました。以下に、この素晴らしい作品について詳しく説明します。
① 概要
- 『おくのほそ道』は、芭蕉が元禄2年(1689年)に、弟子の河合曾良と共に東北から北陸地方を旅した紀行文です。
- この旅は、西行の500回忌を記念して行われました。
- 作品は、芭蕉の旅の風景や出会った人々、自然の美しさを文章と俳句で描いています。
② 旅程
- おくのほそ道は、江戸から出発して東北・北陸を巡る約600里(約2400キロメートル)の旅です。
- この旅では、歌枕や古跡を訪れ、日本三景の松島や美濃国の大垣までの行程が記録されています。
曽良旅日記(そらたびにっき)は、江戸時代の俳人である河合曾良によって記された日記です。この日記は、1689年(元禄2年)と1691年(元禄4年)に曾良が行った旅行を中心に、彼自身が詳細に記録したもので、芭蕉の名作『おくのほそ道』とは異なり、事実を正確に記述しています。
曾良旅日記は、奥州行脚の史実や芭蕉の俳文を解明する上で重要な資料とされており、1978年に重要文化財に指定されました。この日記は、場所、天候、時刻などを詳細に記録しており、芭蕉の制作意識を探求する上で欠かせないものとなっています。
曾良旅日記は、延喜式神名帳抄録、歌枕覚書、元禄二年日記、元禄四年日記、俳諧書留、その他雑録の6部に分かれています。特に元禄二年日記は、芭蕉との旅の実際の日付や天候、旅程、宿泊などを詳細に記した部分であり、芭蕉の制作意識を理解する上で貴重な資料となっています。
曾良旅日記は、芭蕉の名作『おくのほそ道』とは異なり、情緒的な表現は少なく、地名や区間距離などを正確に記録しています。この日記は、芭蕉の旅の真実の姿に迫るものと言えるでしょう。
曽良旅日記のいくつか印象的なエピソードです。
1. 奥州行脚の史実を正確に伝える:曾良旅日記は、奥州行脚の実際の日付、天候、旅程、宿泊などを詳細に記した部分で
あり、芭蕉の制作意識を探求する上で貴重な資料となっています。
2. 芭蕉の健康と桜の観賞:芭蕉の最初の希望は奥州の桜を見ることでしたが、曾良の調査により実現できないことが判明
し、奥の細道は歌枕の探訪となりました。
3. 関所を通る体験:曾良は関所を通る際に不審に思われ、滞在期間が長かったことが記録されています。このエピソード
は、当時の芭蕉の置かれた立場を示しています。
4. 時刻表記の詳細さ:曾良旅日記は、江戸時代の中期において最も詳しく時刻を記述したものとして有名です。十二支で表
し、時間分を3等分して上刻・中刻・下刻とする定時法による表現が多く見られます。
これらのエピソードは、芭蕉の名作『おくのほそ道』とは異なり、情緒的な表現は少なく、事実を正確に記録している点が特筆されます。曾良旅日記は、芭蕉の旅の真実の姿に迫るものと言えるでしょう。
手水舎は、神社や寺院で参拝前に手や口を清めるための場所です。手水舎は、四方から水が流れるようになっており、参道の脇に設置されています。手水舎には別名もあり、水盤舎(すいばんしゃ)や御水屋(おみずや)、手水所(てみずどころ)とも呼ばれます。
手水と水盤は異なるものです。水盤は、手水舎の中にある水が張られた浅い水槽を指します。一方、手水は「洗うこと」そのものや、「洗うための水」を意味します。手水の場合、水盤にあたるものを「手水鉢(ちょうずばち/てみずばち)」と呼ぶこともあります。
① 手水舎の基本的な作法は以下の通りです。
1. 右手で柄杓に水をたっぷりと汲む。この1杯の水を最後まで使うのが作法です。
2. 左手に水を掛けて洗う。
3. 柄杓を左手に持ち替え、右手を洗う。
4. 柄杓をもう一度右手で持ち、左手を器のようにして少し水を溜め、その水を手で口に入れ、口を漱ぐ。漱いだ水は左手で
口元を隠しながら吐き出します。
5. 左手にもう一度水をかけて洗う。
6. 柄杓を立てて、柄杓の中に残った水を柄のほうへ流し、柄を洗って元の場所へ戻す。
② 手水舎はコロナ禍の影響で変化しています。柄杓がない手水舎が増えており、次亜塩素酸水ポンプを設置して手水の代用と
して利用する神社もあります。また、紫陽花を手水舎に浮かべてインスタ映えするスポットとしても人気です。
山寺散策には料金が発生します。以下は料金の詳細です。
- 大人:300円
- 高校生:300円
- 中学生:200円
- 小学生:100円
- 幼児(4歳以上):100円
山寺は8時から17時まで入山可能ですので、十分な時間を確保して訪れてください。山寺の美しい景観と歴史的な雰囲気を楽しんでくださいね。🌸
山寺(宝珠山立石寺)は美しい景観と歴史的な雰囲気を持つ場所で、散策するのに最適です。以下は山寺のおすすめコースと所要時間です。
1. 根本中堂から五大堂までのコース(所要時間:約2.5時間)
- 根本中堂 : 鎌倉時代の一本彫秘仏本尊、薬師如来座像が安置されている建物で、日本最古のブナの建造物です。
- 宝物館 : 木造の薬師如来立像や阿弥如来立像、釈迦如来立像などが展示されています。
- 山門 : 鎌倉時代の作とされる山門で、奥の院への登山入口です。
- せみ塚 : 芭蕉の句をしたためた短冊を納めた記念碑があります。
- 仁王門 : 嘉永元年(1848年)に再建されたけやき材の優美な門で、仁王尊像が安置されています。
- 奥之院 : 開山・自覚大師円仁が中国で修業中に持ち歩いた釈迦如来と多宝如来をご本尊としています。
- 開山堂・納経堂 : 慈覚大師円仁を祀るお堂で、写経を納める納経堂もあります。
- 五大堂 : 開山30年後に建立された五大明王を祀る道場で、山寺を一望できる絶景スポットです。
2. 山寺登山口から奥の院への参拝ルート(所要時間:通常1時間、ゆっくり回るなら2時間)
- 山寺登山口 : 登山の言葉が似つかわしい入口です。
- 根本中堂 : 鎌倉時代の秘仏本尊が安置されている建物です。
- 芭蕉像 : 俳人松尾芭蕉の記念碑があります。
- 山門 : 鎌倉時代の作とされる山門で、奥の院への登山入口です。
「姥堂」について。
- 姥堂は、山門から少し登った場所に位置しているお堂で、幅2.7メートル、奥行き1.8メートルの小さな堂です。この姥堂には、十王経に記されている鬼婆が安置されています。鬼婆は三途の川のほとりにいて亡者の着物を奪い取ると言われており、地蔵尊と並んで祭られています。立石寺の姥堂は、極楽(上方)と地獄(下方)との境界とされ、極楽浄土への入口とも言われています。
また、姥堂の向かい側にある巨石は、形が笠に似ていることから笠岩または笠投岩と呼ばれています。伝説によれば、慈覚大師がこの岩陰で雨宿りしたと言われています。
姥堂の鬼婆は、その恐ろしい顔つきで印象的です。山寺・立石寺では岩や崖にたくさんの神仏が彫られ、境内は厳かな雰囲気に包まれています。
せみ塚は、山形県山形市にある立石寺(通称:山寺)の境内に位置しています。この塚は、松尾芭蕉が詠んだ有名な句「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」にちなんで作られたものです。
以下は、せみ塚についての詳細です。
- 所在地: 山形県山形市山寺
- 由来: 松尾芭蕉が元禄2年(1689年)7月13日に山寺立石寺を訪れ、その美しい景観に感銘を受けました。当初は山寺を訪れる予定はなかったようですが、尾花沢での句会などで山寺の情報を得て急遽計画が練られたと思われます。夕刻に山寺に到着した芭蕉は、閉まった御堂の中でただ一つ蝉の声だけが響く静寂な空間に感銘を受け、この名句を詠んだとされています。
- せみ塚の特徴
- せみ塚は長い石段の参道中腹にあります。
- 岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧り、土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉じて物の音が聞こえない場所です。
- 松尾芭蕉が詠んだ句をしたためた短冊をこの地に埋めて、石に塚を立てたもので、せみ塚と呼ばれています。
修行の岩場は、釈迦ヶ峰といい、危険な岩場を通って、お釈迦様のもとに至る場所です。
修行の岩場は、古くから修行の場とされ、案内板によると「正面の岩に巌をかさねた岩場は、釈迦ケ峰といい、出世や欲望のための修行者が、岩場から転落死したことも多かったと伝えられており、今では修行者以外の登山を禁じています」。この岩場は、修験者の厳しい修行の地の名残を残しています。
胎内堂は、山麓や奥の院への参道途中から遠望することができる場所で、修験者のみ立ち入ることができます。胎内堂は岩壁にへばりつくように建っており、修験者は巨岩の割れ目に架けられた水平な木製の桟橋(ハシゴ)を渡り、狭い石の洞窟を這って胎内堂までたどり着く修行を行っていたと思われます。
修行者は、立石寺の岩場で厳しい修行を行っていました。以下は、彼らが実践した可能性のある修行のいくつかです。
1. 岩登りと過酷な山岳トレーニング:修行の岩場は危険で険しい場所であり、岩を登り、岩場を通過することは体力と精神を
試す修行でした。修験者は岩場を越えて山頂に至るために、体力を鍛え、自己超越を目指しました。
2. 禁欲と忍耐:修行者は物質的な快楽や欲望を捨て、禁欲的な生活を送りました。岩場での修行は、自己制御と忍耐力を養う
手段でした。
3. 精神的な瞑想と冥想:岩場での孤独な時間は、修行者にとって精神的な探求と瞑想の機会でした。彼らは自己の内なる世界
に向き合い、洞察を得るために時間を過ごしました。
4. 信仰と祈り:修行者は岩場で祈り、仏教の教義に従って行動しました。岩場は神聖な場所であり、神仏への信仰を深める場
でもありました。
性相院は、山形県山形市にある宝珠山立石寺の一部であり、天台宗に属しています。以下に、性相院についての詳細をご案内いたします。
- 本尊 : 阿弥陀如来で、運慶作と伝えられる毘沙門天像が安置されています。伊達政宗公の生母、義姫の日牌所(位牌を安置して毎日供養する所)とされています。
性相院は、山上にあった十二支院の一つで、慈覚大師作と伝えられる阿弥陀如来を本尊とし、運慶作の毘沙門天を安置していました。明治元年に山の善行院と極楽院を合併され、現在に至っています。
立石寺は、芭蕉の風景でも知られ、心静かに包まれる穏やかなお寺として、多くの参拝者に愛されています。山寺の美しい自然環境と歴史的な建造物を訪れ、心豊かなひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。
参拝時間は、4月から9月までは8時から16時まで、12月から3月までは8時から15時まで(閉門時間は16時)です。ただし、冬季期間は天候により閉門時間が早まる場合があるため、ご注意ください。
性相院を訪れる際は、全行程の石段を往復することで、約1時間30分で参拝できます。服装や靴は普段使用しているもので大丈夫です。山寺の入口には「登山口」と書かれており、山寺には「拝観」よりも「登る」登山の言葉が似つかわしいことから、登山気分で訪れてみてください。
山内寺院、通称山寺は、山形県山形市にある天台宗のお寺です。慈覚大師円仁によって創建され、その歴史と絶景が多くのメディアで取り上げられています。以下は山寺の概要と見どころです。
1. 根本中堂 : 国指定文化財で、最も古いブナ材木造建築。内部には薬師如来座像が安置されています。
2. 松尾芭蕉像 : 俳人松尾芭蕉が詠んだ句「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」を記念した短冊が埋められた「せみ塚」もあります。
3. 開山堂 : 慈覚大師円仁を祀るお堂で、大師の木造の尊像が安置されています。
4. 五大堂 : 五大明王を祀る道場で、断崖に立つお堂から山寺を一望できます。