GOTO旅行支援で行く、8つの紅葉ハーモニー! 宮城蔵王・裏磐梯、五色温泉、みちのく錦秋の絶景紀行の3日間、新幹線と大型バスで行く東北紅葉観光の映像㉛です。
アクティブリゾーツ宮城蔵王から芭蕉ゆかりの名刹の自由拝観するために移動します。
車中では添乗員から、本日のコース説明とオプションの集金が行われました。
GOTO旅行支援で行く、8つの紅葉ハーモニー! 宮城蔵王・裏磐梯、五色温泉、みちのく錦秋の絶景紀行の3日間、新幹線と大型バスで行く東北紅葉観光の映像㉜です。
アクティブリゾーツ宮城蔵王から芭蕉ゆかりの名刹の自由拝観するために移動します。
車中では添乗員から、オプションの集金が行われ、私のところまで来ました。
GOTO旅行支援で行く、8つの紅葉ハーモニー! 宮城蔵王・裏磐梯、五色温泉、みちのく錦秋の絶景紀行の3日間、新幹線と大型バスで行く東北紅葉観光の映㉝です。
アクティブリゾーツ宮城蔵王から芭蕉ゆかりの名刹の自由拝観するために移動します。
車中では添乗員から、旅行支援の割引申込書の説明などが行われました。
また車中では、バスガイドから面白おかしく様々なアナウンスがありました。バスは川崎町に入りました。そしてこのあたりは「陸奥の国」と「出羽の国」を結ぶ街道になっていると。またこのあたりは林業が盛んとのこと。そして旅行代金には紅葉の景色代も入っているので、よく見ておくようにと。そして紅葉の赤色は出にくい色だそうです。先ごろ八甲田山と蔵王に初冠雪があったと。山の季節は変わりやすく、今日もしぐれていると。このバスは宮城川崎インターから山形道に入り、笹谷インター、笹谷峠、笹谷トンネルを通り、山形県山形市に入り、山形蔵王インターで高速を降ります。山形はいも煮が有名で、今朝の朝食会場にあった宮城風いも煮がありました。山形のいも煮で有名なのは「馬見ヶ埼川」の芋煮会です。その川の流れを見ながら山寺に向かいます。そして麓屋の駐車場にバスは停まります。麓屋から115段の階段を上ります。少なくとも根本中道までは登ってください。その先の山門までは付き添ってくれるみたいです。体力づくりにはもってこいのコースだそうです。ただ、無理はしないようにとのこと。
宮城県川崎町は、宮城県の南西部に位置する町で、蔵王連峰の山麓から釜房湖までの豊かな自然に囲まれています。こちらの町の概要をご紹介します。
- 人口と世帯数(令和6年2月29日時点)
- 世帯数:3,400世帯
- 人口:8,067人
- 男性:4,021人
- 女性:4,046人
- 観光施設
- 宮城県川崎町は、蔵王連峰の美しい自然環境に恵まれており、観光スポットも多くあります。
- また、小中学校も充実していることから、子育て世代にも住みやすい町と言えるでしょう。
宮城県川崎町に住む人々の生活は、美しい自然環境に囲まれていることから、穏やかで豊かなものと言えるでしょう。蔵王連峰の山々や釜房湖など、自然の景観を楽しむことができます。また、小中学校が充実しているため、子育て世代にとっても住みやすい環境です。
宮城県川崎町には美味しい特産品がたくさんありますよ。以下にいくつかご紹介します。
1. 川崎そば: 甘みがあり風味も良い川崎そばが特産品です。また、1月に提供される「寒ざらしそば」もおすすめです。
2. 川崎産の米: 寒暖差と蔵王の水が育てた川崎産の米は、甘みがあり格別な味わいを持っています。品種には「ひとめぼれ」「まなむすめ」などがあります。
3. 生いもこんにゃく: 昔ながらの製法で風味豊かに仕上げた生玉平、生玉糸、生玉玉コンニャクがあります。特にイベント時に販売される「玉こん」は大人気です。
4. ぎんなん: 長寿の健康食品といわれるギンナンも川崎町の特産品です。栄養価が高く、バランスも取れています。
5. 仙人シイタケ: 採れたての生シイタケは豊かな味わいがあります。川崎町森林組合でお求めいただけます。
これらの特産品は、川崎特産センターや地元のお土産屋さんで手に入ります。ぜひ訪れてみてください。
陸奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つで、東山道に属していました。この国は現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県と秋田県の一部(鹿角郡)に広がっていました。
当初は「道奥」(みちのおく)と呼ばれ、平安時代まで「陸奥」(みちのく)とも呼ばれました。この地域は畿内から見て山道(のちの東山道)と海道(のちの東海道)の奥に位置していました。中央政権に新規に服従した地域を同国に含めていったため、時期によって範囲は変遷しました。また、未だ服従しない北方の蝦夷(えみし)と接していました。
明治元年(西暦1869年)には、陸奥国は5つの国に分割され、その1つとして、青森県と岩手県二戸郡にかけての地域に新たに「陸奥国」(りくおうのくに・むつのくに)が置かれました。明治維新後、出羽国とともに分割された後の陸奥国については、陸奥国 (1869-)を参照してください。
「陸奥」の名称の由来は古事記には「道奥」とあり、日本書紀は「陸奥」が多いですが、古い時代に「道奥」もみられ、ともに「道奥」を「みちのおく」と訓じます。平安時代の和歌で「陸奥」は「みちのく」として詠まれていました。この「みちのく」が「むつ」に変わった事情には江戸時代から二つの説があります。一つは陸が六の大字として用いられることをふまえて、陸を六と書き、それに訓読みをあてて「むつ」にしたというもので、本居宣長が『古事記伝』で唱えた説です。もう一つは「みちのく」が「みちのくに」になり、「むつのくに」に転訛したという説で、保田光則の『新撰陸奥風土記』にある説です。
陸奥国は日本の歴史と文化に深く結びついており、多くの歴史的な名所が存在します。以下にいくつかの名所を紹介します。
1. 陸奥国分寺(宮城県仙台市若林区):奈良時代に建立された天台宗の寺院で、国の特別史跡として指定されています。ここは聖武天皇の勅命によって建てられ、歴史的な価値が高いです。
2. 大崎八幡宮(宮城県塩竈市):鎌倉時代から歴史を見守る神社で、重要文化財としても知られています。この神社は蝦夷討伐の時から存在し、歴史的な背景を持っています。
3. 格子の橋(松島):松島の海に浮かぶ伝説の残る島で、歴史的な景観が楽しめます。
出羽国(でわのくに)は、かつて存在した令制国の一つで、東山道*属していました。現在の山形県と秋田県に相当します。
- 所属地域
- 山形県
- 秋田県(北東部を除く)
- 国内主要施設
1. 出羽国府(推定): 山形県庄内地方(出羽柵)
2. 秋田市(秋田城跡)
3. 酒田市(城輪柵跡)
4. 出羽国分寺(推定): 山形県酒田市(堂の前遺跡)
5. 鶴岡市(出羽国分尼寺)
出羽国は、上国として律令制の下で成立し、蝦夷と接する重要な位置にありました。隣の陸奥国と並び、黄金を産出する地域でもありました。その後、陸奥と出羽の境界はしばしば変動し、中世には奥州藤原氏の支配を通じて整理されました。
なお、平安時代まで出羽は「いでは」と読まれていました。
出羽国の歴史について詳しくお話ししましょう。
出羽国の成立と位置
- 出羽国は、日本の令制国**の一つで、東山道に属していました。現在の山形県と秋田県に相当します 。
- 出羽国は、上国として律令制の下で成立し、蝦夷と接する重要な位置にありました。隣の陸奥国と並び、黄金を産出する地域でもありました。
出羽国の主要施設
出羽国にはいくつかの重要な施設が存在しました。以下にいくつかをご紹介します。
1. 出羽国府(推定): 山形県庄内地方にあったとされる出羽柵が、出羽国府とされています。
2. 秋田市(秋田城跡): 秋田県の中心都市で、かつては出羽国の一部でした。
3. 酒田市(城輪柵跡): 山形県酒田市には城輪柵の遺跡があり、出羽国の歴史的な地域です。
4. 出羽国分寺(推定): 山形県酒田市にある堂の前遺跡は、出羽国分寺の跡地とされています。
5. 鶴岡市(出羽国分尼寺): 鶴岡市には出羽国分尼寺の遺跡があります。
出羽国の興味深いエピソード
出羽国の歴史や文化には興味深いエピソードがたくさんあります。例えば、平安時代まで出羽は「いでは」と読まれていました。 また、中世には奥州藤原氏の支配を通じて出羽と陸奥の境界が整理されました 。
出羽国の歴史を探求することで、日本の古代から中世にかけての地域の様子や人々の営みを知ることができます。
出羽国には歴史的に有名な武将がいました。その中でも特に著名な人物をいくつかご紹介します。
1. 最上義光(もがみ よしあき)
- 時代: 戦国時代から江戸時代前期
- 出羽国山形藩初代藩主
- 業績: 南羽州に勢力を広げ、縁戚である伊達輝宗・政宗と争いました。関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、慶長出羽合戦にて上杉家の直江兼続を退け、57万石の版図を築きました。
- 生涯: 1546年に生まれ、幼名は白寿丸。将軍・足利義輝より偏諱を賜り、義光と名乗りました。最上氏の第11代当主として、出羽国を統治しました。
2. 安東愛季(あんどう まなき)
- 時代: 戦国時代
- 出羽国檜山城の戦国大名
- 業績: 地元の武将として、出羽国の檜山城を居城としました。
3. 伊達政宗(だて まさむね)
- 時代: 戦国時代から江戸時代前期
- 出羽国と陸奥国の武将・戦国大名
- 業績: 伊達氏の第17代当主で、仙台藩の初代藩主として知られています。
令制国(りょうせいこく)は、日本の律令制に基づいて設置された地方行政区分で、飛鳥時代から明治初期まで、日本の地理的区分の基本単位でした。以下に、令制国について詳しく説明します。
- 定義と役割
- 令制国は、国司(こくが)と呼ばれる官吏が中央から派遣されて治めた行政単位でした。
- 令制国は広さや人口、生産力などを基準にして大国、上国、中国、下国の4等級に分類され、国司の定員や官人の位階に差が設けられていました。
- 歴史的背景
- 令制国は飛鳥時代から存在し、奈良時代まで続きました。
- 室町時代には守護領国制の進展により、実体がなくなりましたが、形式的には残存していました。
- 江戸時代にも実体としての領地支配は藩や直轄地にありましたが、令制国は名目的には存在していました(藩と令制国は一致しません)。
- 現在の状況
- 現在は行政区分としての機能は失われ、単なる地理的区分となっています。
- 都道府県が令制国の役割を取って代わりつつあります。
日本の歴史的な行政区分である令制国には、多くの具体的な例があります。以下に、いくつかの令制国をご紹介します
1. 陸奥国(むつ):東山道に位置し、現在の福島県や宮城県に相当します。
2. 出羽国(でわ):東山道に属し、現在の山形県や秋田県に該当します。
3. 信濃国(しなの):東山道に所属し、現在の長野県に相当します。
4. 美濃国(みの):東山道に位置し、現在の岐阜県に該当します。
5. 近江国(おうみ):東山道に属し、現在の滋賀県に相当します。
紅葉の仕組みを知ると、赤や黄色の紅葉がなぜ起こるのか理解できます。紅葉する葉っぱには、元々緑色の色素であるクロロフィルと黄色の色素であるカロチノイドが含まれています。通常、緑色のクロロフィルが優勢であるため、葉は緑色に見えます。
しかし、秋になると気温が低くなり、クロロフィルとカロチノイドは分解され始めます。クロロフィルが速く分解されるため、緑色の色素が減少し、代わりに黄色の色素が目立つようになります。このため、葉は黄色く変化します。
さらに、葉が冬に向けて落ちる準備をする際、葉の根元に離層と呼ばれる壁ができます。離層は葉と茎の間で物質の移動を阻害し、葉が元気に光合成を続ける一方で、クロロフィルが分解されることでアミノ酸などが合成され、赤色の色素であるアントシアニンが生成されます。このアントシアニンによって葉っぱが赤く見えるようになります。
紅葉の時期には、日光の当たり具合によってクロロフィル、カロチノイド、アントシアニンが異なる部分で目立ち、緑から赤へのグラデーションを楽しむこともできます。
赤くなる紅葉と黄色くなる紅葉の違いは、持っている色素の違いによります。赤くなるものはクロロフィルとカロチノイドの分解とアントシアニンの合成がほぼ同時に行われ、黄色くなるものはクロロフィルが分解した後にカロチノイドがゆっくり分解されます。また、緑から黄色を経て赤くなるものもあります。
紅葉が鮮やかに色づくためには、昼と夜で気温の差が大きく、空気が澄んでいて日光が十分に受けられ、適度な湿度があることが重要です。気温差が大きいとクロロフィルの分解が促進され、赤くなる条件となります。紅葉の美しさを楽しむ際には、これらの条件を考慮してみてくださいね! 🍁
八甲田山は、青森県中央部に位置し、十和田湖の北方にそびえる火山群です。この山は複数の成層火山や溶岩円頂丘で構成されており、日本百名山の一つとして知られています。
具体的な情報を以下にまとめました。
- 山の構成: 八甲田山は、最も標高の高い大岳(標高1,585メートル)を含む10個の山々からなる北八甲田と、6つの山々から成る南八甲田の2エリアに分けられています。
- 火山活動: 現在の火山活動は穏やかで、周辺は世界でも有数の豪雪地帯です。冬はスキーヤーに人気があり、一年を通して自然を満喫できます。
- 歴史的事件: 明治35年に青森の歩兵第五連隊が、雪中行軍の演習中に記録的な寒波が原因とした吹雪に見舞われ、多くの隊員が遭難した八甲田雪中行軍遭難事件が発生しました。この事件を基にした新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」が書かれ、映画化されています。
宮城川崎インターチェンジは、宮城県柴田郡川崎町にある山形自動車道のインターチェンジです。川崎町中心部に近く、以下の詳細があります。
- 所在地: 宮城県柴田郡川崎町大字前川
- IC番号
- 開通日: 1988年10月13日(暫定2車線で供用)
- 接続する一般道: 国道286号
- 料金所: ブース数は4(入口2、出口2)
- 周辺: 宮城県柴田農林高等学校川崎校、川崎町役場、国営みちのく杜の湖畔公園、ボートピア川崎など。
このインターチェンジの「宮城」は、神奈川県川崎市にある東名高速道路の東名川崎インターチェンジや第三京浜道路の京浜川崎インターチェンジ、さらに新潟県長岡市にある川崎インターチェンジとの区別のために「宮城」県の「川崎」町ということでつけられています。
山形県の道路についてお話ししましょう。
まず、山形県の道路整備に関するパンフレットや管内図が公開されています。以下の情報をご紹介します。
1. 「山形県の道路」パンフレット
- このパンフレットでは、山形県の道路整備の現況や課題、そして「やまがたのみちの将来像」を実現するための施策について詳しく説明されています。
- [こちら](https://www.pref.yamagata.jp/180029/kikaku/pamphlet.html)からパンフレットをダウンロードできます。
- また、山形県道路管内図も公開されており、道路の概要や整備状況を確認できます。
2. 山形自動車道(上り)の路線図と渋滞情報
- 山形自動車道は、宮城県柴田郡村田町から山形県鶴岡市に至る高速道路です。
- 詳細な地図や路線図、交通情報(渋滞、規制、工事など)、ETC料金などを確認できます。[こちら](https://www.navitime.co.jp/highway/iclist?roadId=2560&direction=up)からアクセスできます。
3. 山形県ドライブ支援サイト
- 山形県では、全国からお仕事や観光に車で訪れる方々に、安心して、安全かつ快適に道路を利用していただき、さらに山形県の魅力に触れて楽しんでいただけるよう、ドライブ支援サイトを開設しています。
- [こちら](https://www.pref.yamagata.jp/180029/kurashi/kendo/douro/ydrss.html)から詳細をご覧いただけます。
笹谷インターチェンジは、宮城県柴田郡川崎町今宿にある山形自動車道のインターチェンジです。このインターチェンジは、西に宮城・山形県境の**笹谷峠**を控えた川崎町笹谷地区近くに位置しています。
- 所在地: 〒989-1502 宮城県柴田郡川崎町大字今宿
- 距離: 村田JCTから21.9 km(村田JCTが起点)
- 接続する一般道: 国道286号
- 供用開始日: 1981年4月15日
- 特記事項: 笹谷ICから山形県側の関沢ICの間は料金が別計算扱いとなっています。
笹谷ICは、笹谷峠をつらぬく笹谷トンネルを通る一般有料道路として作られました。このトンネルはもともと狭く曲がりくねった峠道の国道286号を迂回するために建設されました。経緯から、山形道に編入された現在でも笹谷ICから山形県側の関沢ICの間は料金が別計算扱いとなっています。IC東側には宮城蔵王セントメリースキー場があり、スキーやスノーボードを楽しむためのアクセスに便利です。また、宿泊施設として付近に「るぽぽかわさき」「一乃湯」もあります。
歴史的には、1981年に笹谷IC - 関沢IC間が「一般国道286号笹谷トンネル」として開通し、1990年に宮城川崎IC - 笹谷IC間が開通しました。その後、1997年に村田JCT - 笹谷IC間が4車線化され、1998年に「一般国道286号笹谷トンネル」が山形自動車道に編入されました。2002年には笹谷IC - 関沢IC間が4車線化されました。
笹谷峠は、宮城県と山形県を結ぶ最古の峠であり、標高は906メートルです。この峠は、仙台市と山形市を結ぶ笹谷街道が奥羽山脈を横断する場所で、平安時代後期から商人荷の輸送に利用されてきました。周辺には有耶無耶関跡や東国山仙住寺跡、六地蔵などの史跡が多く、様々な伝説が残されています。
伝説によれば、笹谷の名前は阿古耶姫が松の木の精との別れを惜しんでささやき合ったことから「ささやき峠」となったと伝えられています。ただし、この伝説はフィクションであり、実際には笹が多い現地の植生によるものと考えられていす。
江戸時代には「笹谷街道」と呼ばれ、仙台城と山形城を結ぶ最も主要なルートであり、参勤交代にも使われました。また、山形藩領では関沢に番所が置かれ、仙台藩領では川崎宿と宮宿を結ぶルートがありました。
現在、国道286号が笹谷峠を通っており、四輪自動車での通行も可能ですが、冬期は閉鎖されることがあります。また、自動車用代替路として、峠の下を貫通する山形自動車道の笹谷トンネルがあります。伝説や歴史的背景を持つこの峠は、観光で訪れる価値がある場所です。
笹谷峠にはいくつかの興味深い伝説があります。以下にいくつかの伝説をご紹介します。
1. 阿古耶姫と松の木の精の別れの伝説
- この伝説によれば、笹谷峠の名前は、阿古耶姫(あこやひめ)と松の木の精がささやき合ったことに由来しています。彼らは別れを惜しんでささやき合ったため、「ささやき峠」とも呼ばれています。
- ただし、この伝説はフィクションであり、実際には笹が多い現地の植生によるものと考えられています。
2. 商人荷の輸送に利用された歴史的な峠
- 笹谷峠は、仙台市と山形市を結ぶ笹谷街道が奥羽山脈を横断する場所として、平安時代後期から商人荷の輸送に利用されてきました。
- 江戸時代には「笹谷街道」と呼ばれ、仙台城と山形城を結ぶ最も主要なルートであり、参勤交代にも使われました。
3. 史跡と伝説が残る場所
- 周辺には有耶無耶関跡や東国山仙住寺跡、六地蔵などの史跡が多く、様々な伝説が残されています。
- 伝説や歴史的背景を持つこの峠は、観光で訪れる価値がある場所です。
現在、国道286号が笹谷峠を通っており、四輪自動車での通行も可能ですが、冬期は閉鎖されることがあります。また、自動車用代替路として、峠の下を貫通する山形自動車道の笹谷トンネルがあります。
有耶無耶関跡は、山形県にある歴史的な遺跡です。この関所は、古代に陸奥の国と出羽の国を結ぶ旧道の笹谷峠に存在していました。興味深い伝説が伝えられています。
- 山鬼の住処: 関所には昔、山鬼が住んでおり、旅人を捕らえて食べていたと言われています。
- 観音様と双鳥の伝説: ある時、山中に観音様が姿を変えた双鳥が現れました。山鬼がいるときは「有耶」、いないときは「無耶」と鳴いて旅人に知らせたとされ、ここから「有耶無耶の関」と呼ばれるようになったそうです。
東国山仙住寺跡は、宮城県川崎町にある歴史的な遺跡です。この場所は、旅人の安全を願い、遭難者の絶えない峠に建てられた助小屋でした。寛永19年(1642年)、伊達家の2代目藩主である伊達忠宗によって寄進され、仙台市青葉区八幡町に現存する宝光寺の末寺として、眞海和尚によって開山されました。当時の旅人にとっては心強い存在であり、特に冬期には頼りにされていました。ご本尊は十一面観音立像で、現在は笹谷集落の「笹谷十一面観音堂」に安置されています。
六地蔵は、仏教の六道輪廻の思想に基づいて、地蔵菩薩の像を6体並べて祀ったものです。これは、六つの世界に応じて姿を変えて現れ、衆生を救済するとされています。
以下は、六地蔵についての詳細な説明です。
1. 六道について
- 私たちの魂は六道と言われる、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天界の六つの世界を生まれ変わり死に変わりしているとされています。
- 生まれ変わり先は行いの罪の大小によって決まります。最も罪の重い者が行く一番下の世界は地獄であり、最も苦しみの多い世界です。一方、一番上の世界である天界では苦しみがほとんどないとされていますが、天界を去る時には苦しみがあると言われています。
2. 地蔵菩薩の役割
- 地蔵菩薩は、生命の生まれ変わり死に変わりの場所である六道の入口に立ち、救済の役目を果たします。
- 地蔵菩薩は六道の入り口に居て、特に三悪趣と言われる地獄、餓鬼、畜生の世界に堕ちないように見守っています。
3. 六地蔵
- 六地蔵は六つの世界へ赴くために姿を変えた地蔵菩薩の信仰です。
- それぞれの地蔵は、六道それぞれの入り口を守る役割を担っています。
この信仰は、衆生の苦悩を救うために地蔵菩薩が奮闘する姿を讃えています。
六地蔵という地名は、日本の地蔵信仰に由来しています。この信仰は、地蔵菩薩が六道全ての生きとし生ける者を救うという教えに基づいています。特に京都においては、六地蔵という地名が古くから存在し、それぞれの地蔵が特定の場所を守る役割を担ってきました。
例えば、奈良街道口にある六地蔵は、かつての旅人たちが安全に旅を続けられるようにとの願いから設置されたと伝えられています。歴史的背景を掘り下げると、地名「六地蔵」の誕生は平安時代**にさかのぼることができます。その時代、京都は都として栄え、多くの人々が行き交う重要な交差点が存在していました。その一つが六地蔵であり、ここは六つの道が交わる場所として知られ、地蔵信仰と密接に関わりを持つようになりました。
京都では、毎年8月に「京の六地蔵めぐり」という行事が行われており、これは地域の信仰心を表す重要なイベントです。参加者たちは、京都市内に点在する六つの地蔵尊を巡り、それぞれの地蔵が持つ歴史や特色に触れながら、家内安全や無病息災を祈願します。各地蔵は地域の風情と共に受け継がれてきた文化の象徴とも言えるでしょう。六地蔵信仰は、時代の変遷と共に形を変えてきましたが、現代においてもその意義は色褪せることはありません。多くの人々が六地蔵の信仰を通じて、祈りを捧げ、また、京都の歴史や文化に触れる機会としているのです。六地蔵という地名は、単なる地理的な指標を超え、地域の人々の心の支えとなっていることは間違いありません。
六地蔵めぐりは、毎年8月22日と23日の両日に行われる京都の伝統行事です。この行事では、京都の旧街道口に安置された6体の地蔵尊を巡拝します。以下に詳細を説明します。
1. 六地蔵めぐりの由来
- 六地蔵は、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道に迷い苦しむ衆生を救済する菩薩のことです。この信仰は、家内安全や無病息災、家運繁栄などを祈願するために行われています。
- 大善寺(伏見地蔵)**に残る1665年の「六地蔵縁起」によれば、平安初期に活躍した小野篁に由来するとされています。小野篁は役人であり歌人としても知られ、不思議な力を持ち、閻魔庁で裁判を手伝った伝説的な人物です。
- 849年に熱病にかかった小野篁が冥土の世界で生身の地蔵菩薩に出会い、人々を救済するよう託され、奇跡的に蘇生したという出来事が六地蔵信仰の起源とされています。
2. 巡拝の方法
- 各寺院で授与される「お幡」(300円)を集めていきます。巡拝の順序に決まりはなく、どこから始めても構いません。ただし、六地蔵駅の大善寺を基準に時計回りまたは反時計回りで巡るのが効率的です。
- 期間中は普段拝観できない仏像なども特別に公開され、お茶の接待なども行われて多くの人々が訪れます。
3. 寺社名とエリア
- 大善寺(伏見地蔵):奈良街道に位置し、六地蔵めぐりの発祥の地。六角堂に安置された白塗りの地蔵菩薩像は重文指定。
- 恋塚浄禅寺(鳥羽地蔵):鳥羽街道に面し、地蔵堂に地蔵菩薩立像と阿弥陀如来立像を安置。観音堂には十一面観世音菩薩があり、六地蔵めぐりの時のみ特別公開。
- 他にも地蔵寺(桂地蔵)、源光寺(常盤地蔵)、上善寺(鞍馬口地蔵)、徳林庵(山科地蔵)があります。
山形市は、山形県の中部東に位置する中核市であり、県庁所在地でもあります。ここでは、山形市の概要を紹介します。
- 位置: 山形市は山形盆地の東南部に位置しており、山形盆地は南北40キロメートル、東西10キロメートルの舟底型内陸盆地です。
- 人口: 令和5年4月1日現在の人口は合計で約25万人で、男性116,672人、女性126,252人、世帯数は103,616戸です。
- 歴史: 山形は古くは「最上」と呼ばれていました。室町時代中期以降に政治文化の中心として発展し、最上義光の時代(1546-1614)にはさらなる飛躍を遂げました。商業の発展も支え、紅花の生産などが盛んでした。
最上義光(もがみ よしあき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国の大名であり、最上氏の第11代当主でした。彼は出羽山形藩の初代藩主でもあります。最上義光は南羽州に勢力を広げ、縁戚である伊達輝宗・政宗と争いました。彼は関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、慶長出羽合戦にて上杉家の直江兼続を退け、57万石の版図を築いたことで知られています。
以下は最上義光の生涯についての詳細です。
- 生誕: 天文15年(1546年)1月1日、第10代当主・最上義守と母・小野少将の娘との間に長男として生まれました。幼名は白寿丸。
- 名前の変遷: 将軍・足利義輝より偏諱を賜り、義光と名乗りました。
- 領土拡張と独立: 伊達氏からの独立傾向を強め、最上領内での攻防を繰り広げました。最上八楯との戦いや関ヶ原の戦いで活躍し、57万石の版図を築きました。
- 家族と縁戚: 義光は妹の義姫(伊達政宗の母)や鮭が大好きで知られています。
最上義光は、戦略的な側面を駆使して領土を拡大し、政治的な手腕で名を馳せました。
以下は最上義光の戦略的な側面についての詳細です。
1. 権謀術数と外交の巧みさ。
- 義光は外交や婚姻関係を活用して勢力を拡大しました。彼は敵対勢力を傘下に収め、庄内地方を含む現在の山形県の範囲を支配下に置きました。
- 調略を重視し、敵対勢力の制圧に乗り出しました。一族の結束を瓦解させ、敵対者を排除することで領土を拡大しました。
2. 防衛戦略と領内の安定
- 領内で一度も一揆が起きなかった名君としての側面も持っています。義光は領民の生活を守り、領土を安定させるために努力しました。
- 山形城を整備し、発展に貢献しました。
3. 関ヶ原の戦いと功績
- 義光は関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、慶長出羽合戦にて上杉家の直江兼続を退け、57万石の版図を築きました。
- 彼の戦略的な判断と武勇により、最上氏は幕府によって改易されるまでの間、繁栄を享受しました。
山形蔵王インターチェンジは、山形県山形市にある山形自動車道のインターチェンジです。このインターチェンジは山形蔵王パーキングエリアと併設されており、上下線ともにパーキングエリアを利用した後にインターチェンジから出ることが可能ですが、逆にインターチェンジから入ってパーキングエリアを利用することはできません。
隣接する関沢ICは、村田JCT方面のみ通行可能なハーフインターチェンジであり、山形方面から出ることができないため、山形県側の最終出口となっています。
歴史的には、1991年7月31日に関沢ICから山形北ICまでの区間が供用開始されました。その後、1998年に関沢ICから山形蔵王ICまでの区間が4車線化され、2002年には山形蔵王ICから山形北ICまでの区間も4車線化されました。
周辺には山形県庁や山形市立第一中学校、蔵王温泉、唐松観音、蔵王ダムなどがあります。また、直接接続する道路として国道286号があります。
山形県では芋煮が非常に有名です!この郷土料理は、里芋や牛肉、こんにゃく、長ねぎなどの具材を醤油仕立ての味付けで煮込む鍋料理です。各地域ごとに異なる具材を使った芋煮鍋が楽しめますが、山形県の芋煮が元祖と言われています。
江戸時代に最上川舟運の終点地があった長崎湊(現:中山町)が芋煮の起源とされています。船頭や商人が船で運んできた棒だらに地元の里芋を煮て食べたことがルーツとされています。ただし、元祖発祥店は不明です。
以下は山形県内で人気の芋煮を提供しているお店です。
1. 山形長屋酒場: 山形市にある2009年創業の人気居酒屋で、庄内や最上、置賜、村山地方など山形県各地域毎の芋煮鍋が味わえます。
2. 花膳: 30年以上続く老舗居酒屋で、芋煮や鯉の甘煮、ひっぱりうどん、だし等の山形の郷土料理と美味しい地酒を楽しめます。
3. いのこ家 山形田: 山形市香澄町にある人気居酒屋で、庄内の鮮魚や山形県産の野菜、山菜を使った郷土料理が味わえます。手ぶらで芋煮会も楽しいです。
もちもちとした里芋と牛肉、こんにゃくが絶妙に絡み合った芋煮は、山形県の伝統的な郷土料理です。以下は芋煮のレシピです。
「芋煮のレシピ」
材料
- 里芋: 500g
- 牛肉または豚肉: 200g
- こんにゃく: 1枚
- 長ねぎ: 1本
- だし: 500ml
- 醤油: 大さじ3
- みりん: 大さじ2
- 砂糖: 大さじ1
- 塩: 少々
- ごま油: 少々
手順
1. 里芋は皮をむいて一口大に切り、こんにゃくは熱湯でさっと茹でて切ります。
2. 牛肉または豚肉は一口大に切ります。
3. 長ねぎは斜め切りにします。
4. 鍋にだしを入れて煮立て、醤油、みりん、砂糖を加えて味を調えます。
5. 里芋、こんにゃく、牛肉または豚肉を入れて煮ます。
6. 具材が柔らかくなったら、長ねぎを加えてさっと煮ます。
7. 塩で味を調え、ごま油を回し入れて完成です。
お好みで山椒を振りかけても美味しいです。
最上川舟運は、日本の歴史的な舟運システムであり、山形県を流れる最上川を通じて物資や文化が運ばれた重要な交通手段でした。以下に、最上川舟運の歴史と特徴を概説します。
1. 舟運機構の成立
- 最上義光によって最上川の三難所(碁点、三ヶ瀬、隼)が開削され、舟運が発展しました。
- 中流部には舟運の基地となった新庄盆地の清水、山形盆地の大石田と船町の三河岸がありました。
2. 西廻航路の整備
- 幕府領で収穫された年貢米を江戸に運ぶため、酒田を起点とした西廻航路が整備されました。
- 酒田は「西の堺、東の酒田」と称され、舟運が隆盛を極めました。
3. 江戸中期の川船差配役制
- 商人による独占的な川船支配が問題となり、享保8年に川船差配役が改革されました。
- 片運送の廃止や新たな河岸の認可が行われました。
4. 明治期の最上川舟運
- 小鵜飼船や乗船常便社が設立され、物資や旅客の輸送が行われました。
- しかし、明治時代には鉄道の開通により舟運は衰退しました。
山形県中山町(旧称:長崎湊)は、日本の山形県に位置しています。この地域は、江戸時代に最上川を利用した舟運が盛んでした。長崎湊は、最上川舟運の終点とされ、中山町中央公民館の西のあたりに船着き場があり、船荷の積み替えが行われていました。この舟運に携わる船頭や商人たちは、荷待ちの逗留の間、船に積んできた棒ダラと中山町小塩地区でとれた里芋を煮て食べたのが「芋煮会」の始まりなのです。その鍋を川岸の松の枝につるして食べたことから、その松は「鍋掛松」と呼ばれるようになりました。こうして、山形名物の「芋煮会」が始まり、現在の5代目鍋掛松はひまわり温泉ゆ・ら・らの敷地内で芋煮会を楽しむ人々を見守っています。
この地域では、例年9月最終土曜日に芋煮会イベント「元祖芋煮会in中山」が開催され、現代風にアレンジした芋棒煮(棒鱈と里芋などを煮た芋煮)がふるまわれます。中山町観光協会は、人気YouTuberとコラボして「芋煮会発祥の地 中山町」の楽しさを全国の皆さんに伝えています。ぜひ、この風変わりで美味しい伝統料理を楽しんでみてください!
宮城風芋煮は、宮城県で親しまれている郷土料理で、秋の味覚を活かした汁物です。具材には里芋、豚肉、大根、にんじん、白菜、長ねぎ、こんにゃくなどが一緒に鍋で煮込まれます。
この芋煮は、味噌仕立てが主流で、豚肉を使用しています。宮城県産の食材をたっぷりと使い、具だくさんでホッとする一品です。山形県とは異なる味わいを楽しめるので、ぜひ食べ比べてみてくださいね!
もちもちの里芋と野菜がたっぷり入った宮城風芋煮は、秋の味覚を楽しむ一品です。以下は、宮城風芋煮のレシピです。
材料(4人分)
- 里芋: 8個
- 大根: 2分の1本
- にんじん: 1本
- ごぼう: 1本
- ぶなしめじ: 1株
- 豚肉(細切れなら部位はなんでも): 約300g
- ねぎ: 1本
- 板こんにゃく: 1枚
- 白菜: 4分の1個
- 赤みそ(仙台味噌、なければお好みのお味噌で): お好み
- 顆粒だし: お好み
作り方
1. 材料を皮をむいて切ります。
2. 里芋と白菜は一口大、大根とにんじんはイチョウ切り、ごぼうはささがき、ねぎはななめに、ぶなしめじとこんにゃくはちぎります。
3. 里芋、大根、にんじん、ごぼう、ぶなしめじを入れた鍋に、材料がひたるより少し多めに水を入れ、強火にかけます。
4. 沸騰したら、豚肉、こんにゃく、白菜を加え、あくが出てきたらすくいます。
5. あくをだいたい取り除いたら、中火にして、里芋に火が通るぐらいまで煮ます。
6. 弱火にして、顆粒だし、みそ、ねぎを入れ、みそが溶けたらできあがりです!
コツ・ポイント
- ねぎは一番最後に入れて、しゃきしゃき感を味わうのがおいしいです。
- おわんによそったあと、お好みで七味や一味を加えて、お供にはやっぱりおにぎりがベストです。
このレシピは、広瀬川の河原で焚き火を囲んで作って食べる楽しい芋煮の思い出から生まれました。山形の芋煮とは異なる宮城風の味わいをぜひ楽しんでください!🍲
山形県で有名なBBQ会場(芋煮会場)の馬見ヶ崎川河川公園をご紹介します。この場所は、山形市内で手軽にアウトドアを楽しめる素晴らしい場所です。さっそく詳しく見てみましょう!
・ 馬見ヶ崎川河川公園とは
馬見ヶ崎川河川公園は、階段護岸や置き石などにより、水辺と親しめる空間が作られています。水はきれいで浅く、水遊びに最適です。自然豊かで景観も良く、秋には芋煮会の場所としても賑わっています。
・アクセス
馬見ヶ崎プール ジャバと検索すると、スムーズにアクセスできるでしょう。駐車場の利用料金は無料です。馬見ヶ崎プール ジャバの住所は以下の通りです。
- 山形県山形市小白川町1237
- 予約不要(愛宕橋は23:00-4:00まで空きませんのでご注意ください)
・芋煮会場
第三駐車場キャンプエリアに到着すると、すぐに第3駐車場が現れます。こちらはキャンプができるエリアで、自然の中で食事を楽しむのに最適です。また、芋煮会場もこちらにあります(BBQも可)。芋煮会場の利用上の注意点は以下の通りです。
- 直火厳禁
- 第一駐車場はプール利用者用
- 橋を燃やすような行為をしないこと
- ゴミは持ち帰りましょう
人気エリアは橋の下で、日陰がちょうど良い感じです。川も流れており、小さなお子さんが入って遊んでいる姿も見られます。広々とした駐車スペースもあり、走行音はあるものの、話し声は聞こえるレベルです。
麓屋は山形県にある郷土料理のお店です。具体的には、ふもとや本店というお店が山形市の山寺にあります。このお店は地産地消を大切にし、歴史ある山寺の名物料理を提供しています。
こちらのお店では、山形の蕎麦をはじめ、精進風料理「山寺御膳」(完全予約制)や紅花と米粉で包んだ山寺封おやき「宝珠の子」など、山寺オリジナル料理が楽しめます。また、地元お土産も充実しているそうです。
麓屋本店は、山形市山寺に位置しており、温かいげそ天蕎麦やざる蕎麦、うどんなども提供されています。お店の外観は繁盛していて、地元の方々に愛されているようです。
もしご興味があれば、ぜひ訪れてみてください。ただし、掲載されている情報や写真は最新のものではない可能性があるため、事前にご確認いただくことをおすすめします。
- 所在地: 山形県山形市大字山寺4429
- 平均予算: ¥1,000~¥1,999
![ふもとや本店](https://www.jalan.net/gourmet/grm_guide000000179237/)
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アクティブリゾーツ宮城蔵王から芭蕉ゆかりの名刹の自由拝観するために移動します。
また車中では、バスガイドから面白おかしく様々なアナウンスがありました。2022年、3年ぶりの芋煮会が復活します。芋煮会に使われる大鍋は「鍋太郎」と呼ばれ、2代目は見ることができます。初代は見にくく。今使われている3代目は下流の河原に置いてあります。山形観光センターにも寄ります。この時期はリンゴ狩りができます。旅行ではメインの料理を食べ、そして消化する時間があり、そして昼食の食事、デザートを食べます。このあたりの道路についても説明されました。ただ、絶景なのに映像がピンボケ気味なので残念でした。
「鍋太郎」は、日本一の芋煮会フェスティバルで使用される巨大な鍋です。このフェスティバルは、山形市で毎年9月に開催されており、その存在は「日本一」の理由の一つとなっています。
以下は「鍋太郎」についての詳細です。
- 規格外の巨大鍋: 1989年の第1回開催以来、日本一の芋煮会フェスティバルを支えてきた「鍋太郎」は、三代目となる現在の規格では、直径6.5メートル、重さ4トンという規格外の巨大鍋です。この大きさゆえに、取り扱いも大掛かりで、保管場所からの運搬、会場での設置、調理、撤去作業、洗浄など、すべての作業に10トンクレーン車が必要です。
- 鍋の蓋も巨大: 鍋が大きければ蓋も大きいため、調理中の蓋の開け閉めもクレーン使って行います。
- 洗浄作業: 調理前の洗浄は、デッキブラシや高圧洗浄機を使用して隅々まで行われます。その様子は、まるで大浴場の清掃のようで、10人がかりで半日を要します。
- かまどの設置: 鍋を加熱するかまどとして必要な五徳は、建築用の大型L字溝を用いて組み立てられます。その直径は約6メートルにもなります。鍋に合わせた薪の量は通常の芋煮会でも使われる一般的なものを使用しますが、その量は桁違いで、トータル6トンを超える薪を準備しています。
フェスティバル当日、まだ日も昇らない辺り真っ暗な中、調理を担当するメンバーが会場の馬見ヶ崎河川敷に集合し、大鍋「鍋太郎」はその大きな体に食材が投入されるのを静かに待ち構えます。
芋煮会は、日本の秋の風物詩であり、親睦を深める行事として、家族、友人、地域、学校、職場などのグループで行われています。この伝統的な行事は、山形県や宮城県などの東北地方で特に盛んに行われており、サトイモを使った鍋料理などを楽しむものです。
以下は芋煮会についての詳細です。
- 起源と歴史: 芋煮会は、江戸時代にさかのぼります。当時、里芋は主に茹でたり焼いたりする調理法で食べられていましたが、収穫時期に合わせて野外で鍋料理を囲む「芋煮会」が農村部で行われていました。江戸時代には肉類は一般的に食べられていなかったため、現代のように芋煮に肉は入っていませんでした。芋煮会は、サトイモの収穫祭が発展したものと考えられています。
- 日本三大芋煮: 日本三大芋煮とは、山形県中山町、島根県津和野町、愛媛県大洲市の3地域の芋煮を指します。これらの地域で伝統的な芋煮が行われており、それぞれの特色があります。
- 具材と料理: 芋煮には里芋やこんにゃく、ねぎ、きのこ類、季節の野菜などが使われます。具体的な料理方法は地域によって異なりますが、サトイモを使った醤油ベースの煮込み料理が一般的です。
島根県津和野町の芋煮は、そのシンプルさと風味豊かな味わいで知られています。以下に特徴を詳しく説明します。
1. 昆布だしがベースのお澄まし汁タイプ
- 津和野の芋煮は、昆布と炙った小鯛からとった出汁をベースにしています。このすまし汁のようなシンプルなスープが、芋煮の特徴です。
- 柚子皮を薬味に添え、炙り小鯛の香ばしい風味と出汁の旨味を引き立てています。
2. 具は里芋だけ
- 里芋は津和野のシンボルである秀峰「青野山」の麓にある笹山で採れたものを使用しています。
- 他の具材は加えず、シンプルに里芋を楽しむことができます。
3.あぶり鯛とゆずが決め手
- 炙った小鯛の風味が芋煮に深みを与えています。
- 柚子の爽やかな香りがアクセントとなり、津和野の芋煮を特別な一品にしています。
津和野の芋煮は「日本三大芋煮」の一つとされ、毎年10月第3日曜日には「芋煮と地酒の会」も開催されています。また、2016年には日本の三大芋煮が一堂に集う「日本三大芋煮会 in 津和野」も開催されました。津和野の美味しい芋煮を味わってみてください!🍲🌟
愛媛県大洲市の芋煮会、または「いもたき」は、郷土料理であり、大洲市の伝統的な食文化の一部です。以下に詳細を説明します。
① いもたきとは
- いもたきは、さといも(里芋)を主成分とし、油揚げ、こんにゃく、椎茸、鶏肉などを醤油ベースで煮込んだ料理です。
- 肱川流域の肥沃な土で育った里芋を農家が河原へ持ち寄り、肱川の鮎からとったダシで炊いています。
- ねっとりホクホクのさといもが特徴で、やわらかく滑らかな口当たりが楽しめます。
②いもたきの歴史
- いもたきは、藩政時代から受け継がれてきた秋の風物詩であり、300年以上の伝統があります。
- 昔から地域住民が肱川の河原で収穫の夏いもを持ち寄り、親睦融和の一刻を過ごす風習がありました。
- 現在は、この風習を観光事業として楽しんでいただけるように、昭和41年に観光行事化され、9月上旬から10月中旬まで、肱川の河原でいもたきを楽しむことができます。
③いもたき初煮会
- いもたきの初日に行われる「いもたき初煮会」は、大洲市内の肱川河川敷で開催されます。
- 参加者は大きな鍋で炊かれた「いもたき」を無料で味わえます。
- また、臥龍太鼓やYOSAKOI、田増音楽ライブなどのステージイベントや各種出店も楽しめます。
山形市観光案内センターは、山形市の情報発信の場として、さまざまな山形の歴史、文化、自然、イベントなどを紹介し、観光情報を提供しています。ここでは、見て・触れて、より多くの山形の魅力を発見できます。
- 所在地: 〒990-8580 山形市城南町1-1-1 霞城セントラルビル1階
- 電話番号: 023-647-2266
- ファクス番号: 023-647-2267
- 営業時間
- 観光案内センター: 午前8時30分から午後7時まで(年中無休)
- 山形駅観光案内所: 午前9時から午後5時30分まで(年中無休)
- 関連情報
- [山形市観光情報専門サイト「Web 山形十二花月」](https://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/shisetsu/kanko/1002586.html)
また、山形県全体の観光情報を提供する公式サイト「[やまがたへの旅](https://yamagatakanko.com/)」もあります。山形の美しい景観や観光スポットを探索するのに役立ちます。
山形県は果物の名産地であり、特にりんご狩りが楽しめることで知られています。収穫時期は品種により異なりますが、9月上旬から11月下旬までが一般的です。山形でおすすめのりんご狩りスポットをいくつかご紹介します。
1. やまや園(山形市): 9月下旬から10月下旬にりんご狩りを行っています。品種にはつがる、千秋、王林、北斗が含まれており、約100本のりんごが収穫できます。食べ放題はありませんが、試食ができます. 詳細は[こちら]https://www.yamayaen.com/)。
2. パル観光果樹農園(山形市): 10月中旬から11月中旬にふじりんごの狩りが楽しめます。約150本のふじりんごがあり、持ち帰りのみで時価で購入できます¹². 詳細は[こちら](https://www.visityamagata.jp/taiken-asahi-kosakuringoen/)。
3. 上山観光フルーツ園(上山市): つがる、やたか、世界一、紅玉、こうりんの品種で約400本のりんごがあります。食べ放題もあり、1時間で大人1000円(お土産付き)です¹². シャインマスカットの食べ放題も楽しめます。詳細は[こちら](https://www.k-fruit.jp/)。
4. 斎藤観光果樹園(上山市): 秋陽、紅玉、シナノスイート、世界一、ふじ、あいかのかおりの品種で約30本のりんごがあります。もぎ取り食べ放題が30分で行えます。持ち帰りは相談に応じて、品種により可です¹². 詳細は[こちら](https://www.k-fruit.jp/)。
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アクティブリゾーツ宮城蔵王から芭蕉ゆかりの名刹の自由拝観するために移動します。
車中では、バスガイドから面白おかしく様々なアナウンスがありました。外気温は6度です。トンネルを越えて山形に入ると4度でした。寒いです。出羽三山の話も出ました。月山の眺めが良かったです。
出羽三山(でわさんざん)は、山形県鶴岡市にある3つの山、月山、湯殿山、羽黒山の総称です。これらの山々は修験道を中心とした山岳信仰の場として、現在も多くの修験者や参拝者を魅了しています。
① 羽黒山(Hagurosan): 羽黒山には緑豊かな深い森が広がっており、山頂のお社までは直接バスで行けますが、体力に自信の
ある方は、時間をかけて随神門から参道を歩いてみてください。神社の入り口にある随神門を下り、自然の音に耳を傾けてみ
ましょう。祓川のせせらぎや木々の間を通り抜ける風の音が聞こえてくるはずです。山頂の三神合祭殿では、羽黒山、月山、
湯殿山の神様をお祀りしています。参拝の際は手水舎で手と口をすすぎ、体を清めてからお参りしましょう。
② 月山(Gassan): 月山は美しい自然景観と四季折々の風景が楽しめる山です。夏にはハイキングや登山が人気で、山頂から
の眺望は絶景です。また、冬にはスキーやスノーボードが楽しめます。
③ 湯殿山(Yudonosan): 湯殿山は温泉地としても知られており、美しい自然と温泉の恵みを楽しむことができます。湯殿山神
社本宮は6月から11月に参拝でき、湯殿山有料道路も同期間に開通しています。
出羽三山は、山形県の中央にそびえる羽黒山(414メートル)、月山(1,984メートル)、湯殿山(1,504メートル)の総称です。これらの山々は、修験道の聖地として多くの参拝者を引き寄せています。
修験道は、日本独特の山岳信仰で、自然信仰に仏教や密教が混じり、山を行場として霊験力や呪術力を身につけ、除災・招福・治病・延寿の呪禁力を発揮する宗教です。出羽三山は、修験道の中でも特に重要な場所であり、以下のような特徴があります。
1. 羽黒山(聖観世音菩薩、伊氐波神、稲倉御魂命):羽黒派古修験道の行場であり、中枢とされています。
2. 月山(阿弥陀如来、月読神):祖霊信仰が結びついた土着の羽黒派修験以外にも、当山派や本山派の修験も存在し、三修験の修行道場として共存しています。
3. 湯殿山(大日如来、大山祇神、大己貴命、少彦名命):山の神を権現として拝し、修験者は神仏の威神力を「応現」として信仰しています。
修験道は、現実をそのまま究極の真理とみる現実肯定主義であり、修験者は即身成仏することを目指し、生きとし生けるもののために救いの手を差し伸べる人間になることを目的としています。出羽三山は、この修験道の思想と目的を体現する場所として、多くの人々に愛されています。
能除仙(蜂子皇子)は、日本の修験道において重要な存在です。彼は出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)を開いたことで知られています。
- 能除仙は、羽黒山を登り、羽黒権現を感得しました。その後、月山権現と湯殿山権現も感得し、三山の開祖となりました。彼は人々の面倒をよく見て、多くの苦悩を取り除いたことから、能除仙、能除大師、能除太子と呼ばれるようになりました。
- 伝説によれば、蜂子皇子は三本足の八咫烏に導かれて羽黒山に登り、その後他の二つの山も開いたとされています。この日が丑年丑日であったことから、丑年を三山の縁年とする伝承もあります。
羽黒山は、日本の出羽三山の一つで、古くから修験道の修行場として知られています。ここでは、羽黒修験道と呼ばれる修行が行われており、土着の信仰と深く結びついています。
以下に、羽黒修験道について詳しく説明します。
1. 四季の峰: 羽黒修験道は、かつて春の峰、夏の峰、秋の峰、冬の峰をあわせて「四季の峰」と呼ばれる修行を行っていました。現在も行われているのは、秋の峰と冬の峰の二つです。秋の峰は「諸国山伏出世の行」とも呼ばれ、生まれ変わりの修行を実践し、生きながら若々しい生命をよみがえらせると考えられています。
2. 自然信仰と仏教の融合: 修験道は、自然信仰に仏教や密教が混じり、日本独特の山岳信仰として形成されました。中世以降、聖なる山に分け入り、山々を駈け、山に籠もり、山の神霊を身に宿す修行を重ねた山伏たちを通じて、人々に受け入れられてきました。羽黒修験道は、この東北の地において信仰を集めています。
3. 生まれかわりの旅: 羽黒山は「現世の幸せを祈る山(現在)」、月山は「死後の安楽と往生を祈る山(過去)」、湯殿山は「生まれかわりを祈る山(未来)」と見立てられています。巡礼者は、現在・過去・未来を巡る「生まれかわりの旅」を行い、新たな魂として生まれ変わることを願っています。
羽黒修験道は、はるかな眼差しと未来に伝えるべき豊かな可能性を宿しており、今も出羽三山に鼓動しています。
修験道は、古代日本において山岳信仰に仏教(密教)や道教(九字切り)などの要素が混ざりながら成立した、日本独自の宗教・信仰形態です。修験道は、山へ籠もって厳しい修行を行うことで悟りを得ることを目的とし、修験者を「修験者」または「山伏」と呼びます。
修験道の起源については、以下のような歴史的背景があります。
1. 役小角(えんのおづの): 役小角は飛鳥時代に創始したとされる修験道の開祖ですが、彼は伝説的な人物であり、史実は不詳です。役小角は終生を在家のまま通したとの伝承から、在家主義を貫いていたとされています。
2. 神仏混淆と山岳信仰: 修験道は、古神道(日本土着の神々への信仰)と仏教の信仰が融合したものです。神仏混淆の動きと、仏教の密教で行われていた山中での修行、さらに日本古来の山岳信仰が結びついて、修験道という独自の信仰が成立していきました。
3. 修験道の実践: 修験道は日本各地の霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって「験力(げんりき)」を得て、衆生の救済を目指す実践的な宗教でもあります。
修験道は、神仏習合の信仰であり、日本の神と仏教の仏(如来・菩薩・明王)がともに祀られる宗教です。山岳修行者は、山伏として知られ、山に関連した神格も存在します。修験道は全国霊山や各神社仏閣により異なり、一概の例に留まる見解は難しいことに注意してください⁵。
修験道の山伏は、厳しい修行を通じて霊山で悟りを得ることを目指します。以下に、修験道の山伏が行う主な修行について説明します。
1. 峰入り(みねいり):山伏が山に入ることを意味し、神聖な山頂に登ることを含みます。崖の頂上からぶら下がってお経を唱えるような極端な場合もあれば、禅のように瞑想的に山道を歩くシンプルな場合もあります。
さらに、具体的な修験道のスポットをいくつか紹介します。
1. 出羽三山(山形県):月山・羽黒山・湯殿山からなる東北随一の霊場。修験者はここで命懸けの修行を行いました。出羽三山は、聖徳太子のいとこ「蜂子皇子」が修行場として開山したとされています。
2. 大峯山(奈良県):修験道の発祥の地で、山伏たちはここで修行を行いました。大峯山は、修験道の根本聖地とされ、役行者が修験道の本尊「蔵王権現」の出現に遭った場所と伝えられています。
3. 英彦山(福岡県・大分県):天照大御神の子が降臨した九州一の霊山。山伏たちはここで修行を行いました。
修験道は、山伏たちが厳しい自己鍛錬を通じて霊的な成長を追求する宗教であり、日本の自然と神秘を体現する場所として多くの人々に愛されています。
修験道の山伏は、厳しい修行を通じて霊山で悟りを得ることを目指すため、特有の装束を身に着けています。以下は、修験道の山伏が着用する主な装束とその意味です。
1. 頭襟(ときん)
- 行者自身が仏であるため、宝冠を表す。
- 黒色の頭襟には十二の溝があり、無明(煩悩)を象徴しています。
- 左の六つの溝は六道衆生の流転を、右の六つの溝は六道衆生の減滅を表します。
2. 結袈裟(ゆいげさ)
- 修験道専用のお袈裟で、九条袈裟を折りたたんで作られます。
- 上部は九枚の布で、金剛界九界を表し、下部は八枚の布で、胎蔵界八葉を象徴します。
3. 鈴懸(すずかけ)
- 修験行者の法衣で、金胎不二の法衣とされます。
- 鈴懸は上部が九枚の布で、金剛界九界を、下部の袴は八枚の布で、胎蔵界八葉を表します。
4. 法螺貝(ほらがい)
- 勤行や山歩きの際に吹く法具で、正しい教えを多くの人に伝える意味があります。
5. 錫杖(しゃくじょう)
- 修験者を悟りに導く智杖で、山伏は菩薩の錫杖を用います。
- 三種の錫杖があり、それぞれ声聞、縁覚、菩薩を表します。
6. 結袈裟(ゆいげさ)
- 九條袈裟を折りたたんで作られ、山中での修行に便利なように簡素化された修験独自の袈裟です。
これらの装束は、修験道の実践と精神的な成長を体現し、山伏たちが厳しい自己鍛錬を通じて霊的な境地に到達する手助けとなっています。
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車中では、バスガイドから面白おかしく様々なアナウンスがありました。東北4大祭り、山形の祭りには、橋本マナミ、おしんの小林綾子、渡部恵理子が来ました。観光バスは馬ヶ埼川沿いを走ります。そして「鍋太郎」は3万人食分できること。芋煮は山形と庄内では味が違うらしい。
東北地方には美しい祭りがたくさんありますが、特に「東北四大祭り」として知られる4つの祭りがあります。それでは、以下にそれぞれの祭りをご紹介いたします。
1. 青森ねぶた祭(青森県青森市)
- 開催日時:8月2日から8月7日
- 来場者数:約280万人
- 特徴:巨大なねぶた(提灯絵)が市内を練り歩く祭りで、迫力満点です。JR青森駅や新青森駅が最寄りです。
2. 秋田竿燈まつり(秋田県秋田市)
- 開催日時:8月3日から8月6日
- 来場者数:約130万人
- 特徴:重さ50kgの竿燈を軽々と移し変える差し手の技が見どころです。JR秋田駅が最寄りです。
3. 仙台七夕まつり(宮城県仙台市)
- 開催日時:8月6日から8月8日
- 来場者数:約200万人
- 特徴:仙台市内で盛大に行われる七夕まつりで、日本三大七夕の一つでもあります。JR仙台駅が最寄りです。
4. 山形花笠まつり(山形県山形市)
- 開催日時:8月5日から8月7日
- 来場者数:約100万人
- 特徴:山形の花「紅花」をあしらった笠の群れが真夏の夜に踊り狂う祭りです。山形市中心市街地をパレードします。
それぞれの祭りには興味深い歴史があります。以下に詳細をご紹介いたします。
1. 青森ねぶた祭(青森県青森市)
- 歴史:青森ねぶた祭は、16世紀にさかのぼります。元々は夏の終わりに悪霊を追い払うために行われていたと言われていま
す。提灯絵のねぶたは、神聖なものとして作成され、祭りの期間中に市内を練り歩きます。観光客にも大変人気があります。
2. 秋田竿燈まつり(秋田県秋田市)
- 歴史:秋田竿燈まつりは、1788年に始まった伝統的な祭りです。竿燈は、灯りを灯すための竹の棒で、祭りの期間中に市内
を練り歩きます。この祭りは、豊作を祈願するために行われ、差し手たちの技術と力強いパフォーマンスが見どころです。
3. 仙台七夕まつり(宮城県仙台市)
- 歴史:仙台七夕まつりは、17世紀にさかのぼります。伝説によれば、牛頭天王と織姫の恋物語に由来しています。この祭りで
は、美しい七夕飾りが市内の通りに飾られ、観光客が楽しむことができます。日本三大七夕の一つでもあります。
4. 山形花笠まつり(山形県山形市)
- 歴史:山形花笠まつりは、16世紀に始まった伝統的な祭りです。花笠は、山形の花「紅花」をあしらった笠で、真夏の夜に
踊り狂うパフォーマンスが行われます。この祭りは、豊作を祈願する意味合いもあります 。
東北四大祭りに参加する際のヒントです。
1. 青森ねぶた祭(青森県青森市)
- ヒント
- ねぶた祭は夏の風物詩で、市内が賑わいます。ねぶたのパレードを楽しむために、以下のことに注意してください。
- 観覧場所の選択:ねぶたのパレードは市内のさまざまな場所で行われます。観覧スポットを選ぶ際に、混雑具合や視界の
良さを考慮しましょう。
- 日焼け対策:夏の日差しは強烈です。帽子や日焼け止めを持参して、日焼け対策をしっかりと行いましょう。
2. 秋田竿燈まつり(秋田県秋田市)
- ヒント
- 竿燈まつりは力強いパフォーマンスが見どころです。参加する際には以下のことに注意してください。
- 差し手の技を観察:竿燈を軽々と移し変える差し手たちの技術は圧巻です。パレードを観察しながら、その迫力を楽しん
でください。
3. 仙台七夕まつり(宮城県仙台市)
- ヒント
- 七夕まつりは美しい七夕飾りが市内に飾られる祭りです。参加する際には以下のことに注意してください:
- 七夕飾りの鑑賞:仙台市内の通りに飾られた七夕飾りをじっくりと鑑賞しましょう。色とりどりの飾りが美しいです。
4. 山形花笠まつり(山形県山形市)
- ヒント
- 花笠まつりは山形の花「紅花」をあしらった笠の群れが踊り狂う祭りです。参加する際には以下のことに注意してくださ
い。
- 笠の踊り:笠をかぶった踊り手たちの踊りを観察し、その情熱的なパフォーマンスを楽しんでください。
山形花笠まつりは、山形県を代表する夏の祭りで、約1万4千人の踊り手と100万人の観客が集まります。2023年のゲスト芸能人は以下の通りです。
1. 大塚文雄さん:河北町出身の民謡歌手で、8月5日から8月7日までの3日間登場します。
2. ウド鈴木さん:鶴岡市出身のタレントで、8月5日に登場します。
3. 工藤あやのさん:山形市出身の演歌歌手で、8月5日に登場します。
4. 渡辺えりさん:山形市出身の女優で、8月6日に登場します。
5. テツ and トモさん:トモさんが山形市出身のお笑いコンビで、8月6日に登場します。
6. 朝倉さやさん:山形市出身のシンガーソングライターで、8月7日に登場します。
7. 最上川司さん:河北町出身の演歌歌手で、8月7日に登場します。
山形県内の地方ごとの芋煮会は、風味や具材において異なる特徴を持っています。ここで、両者の違いを詳しく説明します。
1. 庄内地方の芋煮会
- 味付け: 味噌味が主流です。
- 具材: 豚肉、里芋、ねぎに加え、しめじなどのきのこや厚揚げがたっぷり入ります。
- 特徴: 具だくさんで、庄内浜が近いため、海岸でも芋煮会が盛んに行われます。
2. 最上地方の芋煮会
- 味付け: しょうゆ味が特徴です。
- 具材: 地元特産のまいたけやブナしめじなどのキノコ類がたくさん入ります。
3. 村山地方の芋煮会
- 味付け: 甘めのしょうゆ味です。
- 具材: 里芋、牛肉、ネギ、こんにゃくを使用します。また、芋煮を食べた後には芋煮カレーうどんも楽しまれます。
4. 置賜地方の芋煮会
- 味付け: しょうゆ味に隠し味として**味噌**を少し加えます。
- 具材: 牛肉、にんじん、だいこん、糸こんにゃくが入ります。
これらの地域ごとに異なる芋煮のスタイルは、今では庄内と内陸の食べ比べを楽しむ芋煮会も定番となっています。秋の山形では、「いも煮会した?」がお決まりのあいさつです。
GOTO旅行支援で行く、8つの紅葉ハーモニー! 宮城蔵王・裏磐梯、五色温泉、みちのく錦秋の絶景紀行の3日間、新幹線と大型バスで行く東北紅葉観光の映像㊲です。
アクティブリゾーツ宮城蔵王から芭蕉ゆかりの名刹の自由拝観するために移動します。
車 中では、バスガイドから紅花トンネルを通過するとのこと。
添乗員から、山寺の地図が二人一枚配布されました。